ミュージシャンから醸造家へ、躍動感があるワインを目指して
スコットランドで生まれ、幼少期にアイルランドへと移ったフィリップ・ヘダーマンは、青年期をロンドンで過ごし、ミュージシャンとして活動していました。人前で演奏すること、音の重なりに意味を見出すこと、それが彼にとって生きるリズムだった。だがある日、予定されていたコンサートが急遽キャンセルになり、ぽっかりと空いた時間にふと立ち寄ったワインショップで、彼の人生は思いもよらぬ方向へと旋回します。
「何気なく手に取ったワイン。グラスの中に、音楽とはまったく違うけれど、どこか似た奥行きを感じた。ひと口ごとに異なる表情を見せるワインに心が震えた。」その瞬間、音楽に注いでいた情熱は、迷いなくワインに向かって流れはじめた。ロンドンでソムリエ資格の勉強を始め、テイスティングの奥深さと理論に没頭するうちに、知識だけでは満足できない自分に気づく。南アフリカで開催されたテイスティング大会への参加が、次の扉を開いた。大会後に訪れた現地のワイナリーで見た、広がるブドウ畑と壮大な自然。「言葉じゃ説明できなかった。ただ、ここに自分がいたいと強く感じた。」ワインを“造る”側に立ちたい。その衝動に突き動かされるように、彼は知人のつてでポルトガルのワイナリーに身を置くことになります。到着初日に簡単に案内されたあと、そこからはいきなり実践でした。経験ゼロ。だが逃げ場はありませんでした。分からないことは聞き、手を動かしながら覚えていきました。「必死だった。でも、自分の手でワインが完成した瞬間の感動は今でも忘れられない。ブドウ栽培、セラーでの作業の大変さを学んだと同時に、ワイン造りの楽しさ、そして自分でもワインが造れたという自信を持つことができた。」ポルトガルで扱っていたのは、土着品種に加え、ピノ・ノワールやリースリングといった冷涼品種。彼の中で、酸の美しさ、軽やかさ、繊細な構造が光るスタイルへの憧れが芽生えていく。
もっと深く学びたい。そう思った彼はニュージーランド、ホークスベイに渡り、ブドウ栽培とワイン醸造のディプロマを取得。卒業後はマーティンボローのアタランギで経験を積み、ピノ・ノワールへの情熱が確信に変わった。そして次なる舞台として彼が選んだのは、ブルゴーニュだった。ドメーヌ・デュジャック、パスカル・マルシャン、ダヴィッド・クロワ。地域を代表する生産者たちと働いた経験は、彼に“テロワールを活かす”という感覚を根づかせた。しかし同時に、彼の中である種のジレンマも生まれていた。「自分が好きな繊細で冷涼なワインを造るには、ブルゴーニュでも年々難しくなっている。気候変動で、かつてのような酸を表現するには無理をしなければならない。そんなときに出会ったのが、ジュラだった。」
ダヴィッド・クロワの紹介で彼の友人のジュラのドメーヌ・クールベを訪れ、まずは収穫だけ手伝わせてもらうことに。畑に足を踏み入れた瞬間の感覚は、南アフリカで初めてブドウ畑を見た時と同じだった。「ここだ」と、全身で理解した。2021年、ジュラに移住。ドメーヌ・クールベで働きながら、2022年には買いブドウから初めて自身のワインを仕込んだ。プロジェクトの名前はLes Ciels Changeants(レ・シエル・シャンジョン、変わりゆく空)と名付けた。「畑ごとに見える空が違っていて、時間や季節によっても刻々と変わっていく。その変化の美しさは、僕にとって“自然と共にあるワイン造り”の象徴。そして同時に、この地域に新しい世代が次々と生まれていること。まさに時代の移ろいを表している。」かつてセラーとして使われていた家の地下を借り、手探りの中で始めたこのプロジェクト。2023年にはついにシャルドネとサヴァニャンの自社畑も植樹し、基盤を築き始めた。「まだ植樹したブドウからワインが造れるのは数年先だけど、ようやく自分の手で本当の意味での“はじまり”をつくれた気がした。」
フィルが目指すのは、味わいに動き、躍動感があるワイン。口の中でワインが踊るように、リズムを刻みながら移り変わる感覚。その動きを支えるのが酸であり、他の要素との調和がすべての鍵を握る。「だからこそ、収穫日は絶対に妥協しない。畑でブドウの状態を見て、香りを嗅いで、噛んでみて、心と体でその瞬間を決める。すべてのバランスはそこから始まるから。」
彼のように、ジュラでは、他のドメーヌで働きながら買いブドウから自らのワイン造りを始める若い造り手たちが増えている。土地の価格やブドウの確保は決して簡単ではない。だが彼はそれを“挑戦”ではなく“希望”と捉えている。「いつか、ヴァン・ジョーヌやマクヴァン・ド・ジュラといったこの土地を象徴するワインも造りたい。そのためには、まずは生産量を少しずつ増やしながら、足場を固めていくこと。時間はかかるかもしれないけれど、僕には見えているんだ。あの空の下で、自分のワインが育っていく姿が。」
変わりゆく空のもとで、変わらぬ情熱とともに。フィリップ・ヘダーマンの物語は、いま確かな一歩を踏み出しています。
(輸入元より転記)